「方便破壊せむもの」とは誰のことか

【問い】

 親鸞聖人は「如來の遺教を疑謗し 方便破壞せむものは 弓削の守屋とおもふへし したしみちかつくことなかれ」と仰っている。釈迦一代の教えである浄土の方便を破壊する君は、物部守屋が如くの仏敵だろう。


【答え】

 私は廃立を勧めているのであって、方便を破壊しているわけではありません。そもそも御和讃の読み方が間違っています。親鸞聖人は『御消息』で次のように書かれています。

 そらごとを申し、ひがことをことにふれて、念仏のひとびとに仰せられつけて、念仏をとどめんとするところの領家・地頭・名主の御はからひどもの候ふらんこと、よくよくやうあるべきことなり。そのゆゑは、釈迦如来のみことには、念仏するひとをそしるものをば「名無眼人」と説き、「名無耳人」と仰せおかれたることに候ふ。善導和尚は、「五濁増時多疑謗 道俗相嫌不用聞 見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨」とたしかに釈しおかせたまひたり。


 嘘いつわりを言い、間違ったことを何かと念仏者に言いつけて、領家や地頭、名主が念仏を妨げようとするのは、充分ないわれがあることなのだと仰っています。そして、『目連所問経』の内容と『法事讃』の御文を引かれているわけです。

 ここに「方便破壊」という言葉があります。では、『選択本願念仏集』でその訓読文を見てみます。

 「世尊法を説きたまふこと、時まさに了りなんとして、慇懃に弥陀の名を付属したまふ。五濁増の時は疑謗多く、道俗あひ嫌ひて聞くことを用ゐず。修行することあるを見ては瞋毒を起して、方便して破壊して競ひて怨を生ず。かくのごとき生盲闡提の輩は、頓教を毀滅して永く沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三途の身を離るることを得べからず。大衆同心にみな、あらゆる破法罪の因縁を懺悔せよ」と。


 漢文では動詞の後に目的語がきます。たとえば「聞其名号」のように、「聞(動詞)」の後に「其名号(目的語)」が書かれるのです。従って、「方便破壊」は「方便を破壊して」とは読みません。法然上人が書き下されているように、「方便して破壊して」なのです。つまり、「種々の方法を用いてこわして」ということです。

 そして、何をこわしているのかといえば、信心の行者の修行、弥陀の名を行ずることです。他力念仏の修行、第十八願の専修念仏を「方便して破壊して」という文脈なわけです。ですから、最初に挙げた親鸞聖人の『御消息』でも、権力者が「念仏をとどめんとする」いわれとして『法事讃』が引かれていました。このことを教えられたのが、次の『高僧和讃』です。

 五濁増のときいたり 疑謗のともがらおほくして 道俗ともにあひきらひ 修するをみてはあだをなす


 「疑謗のともがら」の左訓には、「弥陀のちかひを疑うもの、そしるものなり」とあります。

 また、『正像末和讃』にも、

 有情の邪見熾盛にて 叢林棘刺のごとくなり 念仏の信者を疑謗して 破壊瞋毒さかりなり


 五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそひて 念仏信ずるひとをみて 疑謗破滅さかりなり


と、このように説かれています。

 今日のような五濁悪世では、高森会長のように「18願だけで助かるわけないやろ!」などと念仏の信者を疑謗し、種々の方法を用いて破壊する者が多いのだということです。

 そして『法事讃』の御文は、「かくのごとき生盲闡提の輩は、頓教を毀滅して永く沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三途の身を離るることを得べからず。大衆同心にみな、あらゆる破法罪の因縁を懺悔せよ」と続きます。

 この部分に対応する『高僧和讃』が、

 本願毀滅のともがらは 生盲闡提となづけたり 大地微塵劫をへて ながく三塗にしづむなり


であり、『正像末和讃』にも、

 菩提をうまじきひとはみな 専修念仏にあだをなす 頓教毀滅のしるしには 生死の大海きはもなし


と書かれています。

 「19願を通らねば獲信はできん!」などと、頓教である阿弥陀仏の本願、つまり横超の易行である浄土真宗を非難攻撃する高森会長は、永く三悪道に沈み、迷いの世界を彷徨い続けるという意味です。

 さて、『法事讃』の御文のまとめとして、親鸞聖人が法然上人の法語を収集した『西方指南鈔』から引用します。

 見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨
 如此生盲闡提輩 毀滅頓教永沈淪
 超過大地微塵劫 未可得離三途身
 大衆同心皆懺悔 所有破法罪因縁

 この文の心は、浄土をねかひ、念仏を行する人をみては、毒心をおこし、ひかことをたくみめくらして、やうやうの方便をなして、専修の念仏の行をやふりあたをなして、ととむるに候也。かくのことくの人は、むまれてより仏性のまなこしひて、善のたねをうしなへる、闡提人のともからなり。この弥陀の名号をとなえて、なかき生死をはなれて、常住の極楽に往生すへけれとも、この教法をそしりほろほして、この罪によりて、なかく三悪道にしつむとき、かくのこときの人は、大地微塵劫をすくれとも、なかく三途の身をはなれむこと、あるへからすといふ也。


 「方便破壊」の方便は第十九願などの権仮方便のことではありませんし、「方便を破壊する」という読み方も間違いです。「方便破壊」とは「やうやうの方便をなして、専修念仏の行をやふり(破り)あた(仇)をなして、ととむる(止むる)」という意味です。


 前置きが長くなりましたが、これから結論に入ります。

 先ほど挙げた『高僧和讃』や『正像末和讃』は、『法事讃』の(法然上人が引用されていた箇所の前にある文章も含む)御文に基づいてつくられていますが、『皇太子聖徳奉讃』第六四首や第七一首も同様です。

 如來の遺教を疑謗し 方便破壞せむものは 弓削の守屋とおもふへし したしみちかつくことなかれ


 つねに佛法を毀謗し 有情の邪見をすすめしめ 頓教破壞せむものは 守屋の臣とおもふへし


 『法事讃』との対応関係を確認して下さい。

 世尊説法時將了。慇懃付屬彌陀名。
 五濁増時多疑謗。道俗相嫌不用聞。
 見有修行起瞋毒。方便破壞競生怨。
 如此生盲闡提輩。毀滅頓教永沈淪。


 ちなみに、『皇太子聖徳奉讃』第六四首に使われている「如来の遺教」という言葉は、他の御和讃では諸善をの教えを指している場合もあります。しかしながら、一つ前の第六三首が「守屋か邪見を降伏して 佛法の威徳をあらわせり いまに教法ひろまりて 安養の往生さかりなり」という和讃であること、また、『法事讃』との対応関係や文脈から総合的に判断して、ここでの「如来の遺教」は第十八願の念仏往生の教えを指していると判断するのが自然でしょう。

 従って、「如來の遺教を疑謗し 方便破壞せむものは 弓削の守屋とおもふへし したしみちかつくことなかれ」、この御和讃の意味は、「念仏の教えを疑謗し、種々の方法を用いてこわす高森会長は、排仏をした物部守屋のような者だと思うべきである。親しみ近づいてはならない」ということなのです。


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 当ブログは、高森顕徹氏が会長を務める「宗教法人・浄土真宗親鸞会」の邪義を破っていくものです。目に余る親鸞会の醜状を歎き、ここに真宗の正義を綴りました。

※メイン記事の最終更新は2013年の2月であり、親鸞会の教義や組織に関する情報はそれ以前のものに基づいております。

管理人:黒猫

 関東在住の念仏者です。有り難くも阿弥陀様よりご信心を恵まれ、お念仏申す人生を送っております。

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