さらに行者のはからひにあらず候ふ

 『歎異抄をひらく』第2部の(7)、

 「念仏称えたら地獄か極楽か、まったく知らん」とおっしゃった聖人 ―「知らん」は「知らん」でも、知りすぎた、知らん

 この解釈も親鸞会邪義を代表する間違いの一つです。「飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~」さんの、

◆ 「浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず」

◆ 「会員との問答(死後と捨自帰他との関係について)」

◆ 「そろそろ勉強しておかないと、と思いながらまだ何も始めてない高森会長」

で詳しく解説されているのでまずお読み下さい。


 親鸞聖人が『御消息』で、

 他力と申すは、仏智不思議にて候ふなるときに、煩悩具足の凡夫の無上覚のさとりを得候ふなることをば、仏と仏のみ御はからひなり、さらに行者のはからひにあらず候ふ。


と仰っている通り、凡夫が念仏によって往生成仏するなどということは我々がはからうことではなく、頭で確認することなどできないのです。

 以前、「安心問答(浄土真宗の信心について)」さんの、

◆ 「凡夫にとっての『無疑』とは具体的にどのようなものか」

で触れられていましたが、阿弥陀仏や極楽、後生の存在なども同様、たとえ念仏者であってもわかりません。そのようなことがわかるのは仏様だけです。

 つまり、親鸞会の会員さんが想像しているような、「信心を獲得すれば阿弥陀仏の智慧を賜わるのだから、これまでの価値観が崩壊して全く新しい世界が見えるようになる」、そのような体験は存在しないということです。信前信後、あくまで私達は煩悩具足の凡夫です。


 では信心とは何かと言えば、たとえば、親鸞聖人が御手紙の中で「よくよく『唯信鈔』・『後世物語』なんどを御覧あるべく候ふ」とか、「ただ詮ずるところは、『唯信鈔』・『後世物語』・『自力他力』、この御ふみどもをよくよくつねにみて、その御こころにたがへずおはしますべし」などと仰っている『後世物語聞書』に、その心相がとてもわかりやすく明示されています。

 またあるひといはく、簡要をとりて三心の本意をうけたまはり候はん。師のいはく、まことにしかるべし。まづ一心一向なる、これ至誠心の大意なり。わが身の分をはからひて、自力をすてて他力につくこころのただひとすぢなるを真実心といふなり。他力をたのまぬこころを虚仮のこころといふなり。つぎに他力をたのみたるこころのふかくなりて、疑なきを信心の本意とす。いはゆる弥陀の本願は、すべてもとより罪悪の凡夫のためにして、聖人・賢人のためにあらずとこころえつれば、わが身のわろきにつけても、さらに疑ふおもひのなきを信心といふなり。つぎに本願他力の真実なるに入りぬる身なれば、往生決定なりとおもひさだめてねがひゐたるこころを回向発願心といふなり。


 つまり、

 至誠心(至心) ― 一心一向に他力をたのむ

 深心(信楽) ― 疑いが無い

 回向発願心(欲生) ― 必ず往生できるとおもう


 これが念仏者の心相であって、これ以外には何もありません。『一枚起請文』に、

 ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。


と言われているままです。自分の中に確かなものがあるわけではなく、「必ず往生させる」という救い主のお手元の確かさ、これをただ仰ぐのが信心ですから、我々念仏者としては何もかもお任せしているのであって何も「知らん」のです。

 曲りなりにも龍谷大学専門部を卒業している高森会長なら、十力や四無所畏の言葉くらい知っているでしょう。その中の業異熟智力は業とその果報との因果関係を知る力であり、正等覚無所畏は一切の法をさとっているという自信です。そのような徳を具えた仏様にこそ「念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん」、その判断がつくのです。

 蓮如上人の「雑行を捨てよ」を「雑行をせよ」と真逆に解釈し、親鸞聖人が「知らん」と仰っているのを「知っている」と決めつけるのですから、もう全くどこへ行きたいのやらわかりません。会長が吹聴するオカルトチックな体験をいくら求めようとも、そんなものは存在しないのですからその通りにはなれないのです。

 正しい浄土真宗を聴聞して、阿弥陀如来に帰命して下さい。「生きてよし、死んでよし」の世界に生かされます。


コメントの一覧

高森親鸞会は歎異鈔を誤読させたいようですね。
歎異鈔をひらく、という書物をずいぶん持ち上げる構成員たちではありますが、これほど自己中心的で身勝手無責任な人物に影響されるのは不幸でしょう。
一器の水を一器に移すがごとくとか、指紋もつけないとか、全部高森会長は真っ赤な嘘でしたね。
アニメ親鸞会も関東からきた聴聞衆に対してプイッと横を向かせたのは、支配者や我が儘な人にありましたね。
自分に従わないやつは地獄いきだとばかりか、その反応でさえ喜べと言わんばかりの腐った表現で情がない。
古文や漢文の文法が大事だと退会して随分たってから様々なサイトで学んで知りました。
騙されていた自分が情けないです。
会員をしている人やなびいている人も説得できなくて悲しく思ったものです。


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当ブログについて

 当ブログは、高森顕徹氏が会長を務める「宗教法人・浄土真宗親鸞会」の邪義を破っていくものです。目に余る親鸞会の醜状を歎き、ここに真宗の正義を綴りました。

※メイン記事の最終更新は2013年の2月であり、親鸞会の教義や組織に関する情報はそれ以前のものに基づいております。

管理人:黒猫

 関東在住の念仏者です。有り難くも阿弥陀様よりご信心を恵まれ、お念仏申す人生を送っております。

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