定善と散善③

梯實圓著『親鸞聖人の教え・問答集』のp167~171より引用

Q.『観経』に説かれている散善とは、どのような善行ですか。

A.散り乱れた日常の心のままで、悪行を慎み、善行を修めることです。善導大師は「散はすなわち、悪を廃して、もって善を修す」と言われています。その散善を『観経』の「散善顕行縁」には、「三福行」として説かれています。

Q.三福行とは、どのような行ですか。

A.世福・戒福・行福という三種類の行のことです。三福の「福」とは「しあわせ」のことです。人びとに幸せな果報をもたらす三種類の善行ですから三福行というのです。

Q.世福とは、どういう意味ですか。

A.世間の善ですから世福(世善)といいます。それは世俗を超えるための行ではなく、皆がこの世を幸せに生きるために守らなければならない世間のきまりや、日常生活の質を向上させるためになさねばならない行いのことです。

(中略)

Q.戒福とは、どういう意味ですか。

A.小乗仏教で勧められている善を戒福(戒善)といいます。小乗仏教では、とくに自分自身を清らかにたもち、生死を解脱することに全力を尽くす仏教ですから、何よりも戒律を守ることに重点が置かれています。すなわち世俗を超えて仏道に生きようと志す者は、まず仏陀が誡められた戒律を厳守し、欲望を制御して生活を浄化していかねばなりません。
 まず仏・法・僧の三宝に帰依することを誓う三帰戒をはじめとして、在家の信者ならば五戒をたもって生活し、毎月の六斎日(つつしみの日)に八斎戒をたもち、せめて一昼夜だけでも出家のような清浄な生き方をしなさいと勧められています。
 さらに出家をすれば、まず十戒をうけて修練し、さらに本格的に具足戒をうけて、比丘(男)あるいは比丘尼(女)として清らかな無欲の生活に徹しなければなりません。それによって、仏弟子としてふさわしい身心ともに浄化された生涯を送ることができるからです。

(中略)

Q.行福とは、どのような修行ですか。

A.行福は、大乗仏教で勧められている自利・利他一切の善行を総称したものです。だから行福(行善)というのです。
 大乗に生きようとする人は、まず自他ともに生死を超えて、安らかなさとりの境地を実現していこうと自利と利他の完成を誓う菩提心(さとりの完成を求める誓願)を発さねばなりません。
 そしてあわれみの心をもって人びとに広く施(ほどこし)を行い(布施)・戒律をたもって生活を浄化し(持戒)・どんな苦難にもたえ(忍辱)・たゆみなく努力を続け(精進)・精神を集中して(禅定)・一切は空であると覚る智慧(智慧)を極めて、とらわれを離れるならば、自他ともに、生死を超えることができると、さとりの因果を信じて努め励んでいきます。それを「深く因果を信じる」といいます。
 そして、大乗経典を常に読誦して智慧をみがき、あらゆる人びとに仏教を説いて仏道を歩むようにと勧める伝道(勧進)に努めねばならないといわれています。

Q.この三福行は、もともと往生の行として説かれたものですか。

A.本来は穢土でさとりを完成するための修行だったのです。ですから『観経』には、あらゆる仏陀たちが、まだ菩薩であったときに修行された成仏のための清らかな行いであるといわれています。つまり本来は聖道門の行だったのです。それを『観経』はこの後、九品段に、この三福行を往生の業として広く説かれています。
 すなわち上品上生・上品中生・上品下生には行福が、中品上生と中品中生には戒福が、中品下生には世福が説かれ、三福行によって善人が往生する有様が述べられています。
 そして下品上生・下品中生・下品下生の三生には、定善はもちろん散善すらできなかった無善造悪の悪人が、ようやく臨終にいたって念仏の教えに遇い往生するという、悪人往生の相が明かされるわけです。



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 当ブログは、高森顕徹氏が会長を務める「宗教法人・浄土真宗親鸞会」の邪義を破っていくものです。目に余る親鸞会の醜状を歎き、ここに真宗の正義を綴りました。

※メイン記事の最終更新は2013年の2月であり、親鸞会の教義や組織に関する情報はそれ以前のものに基づいております。

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 関東在住の念仏者です。有り難くも阿弥陀様よりご信心を恵まれ、お念仏申す人生を送っております。

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