「若不生者不取正覚」といふは

【問い】

 阿弥陀仏の本願には「若不生者 不取正覚」と誓われている。これは「もし信楽に生まれさせることができなければ、仏の命を捨てる」という約束だろう。


【答え】

 違います。善知識方は一貫して、「若不生者 不取正覚」=「もし浄土に生まれなければ、仏に成らない」というご解釈です。

 親鸞聖人の『尊号真像銘文』には、

 「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。(※これは広本の御文であり、略本では一部省略されている)


と明記されており、同じく『尊号真像銘文』の別の箇所にも、

 「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。


とお書きになられています。『唯信鈔文意』を見ても同じです。

 「乃至十念 若不生者 不取正覚」といふは、選択本願の文なり。この文のこころは、「乃至十念の御なをとなへんもの、もしわがくにに生れずは仏に成らじ」とちかひたまへる本願なり。


 上記の御文から、「若不生者 不取正覚」が「(本願を信じて念仏称える者が、)もし浄土に生まれなければ、仏に成らない」という意味であることは明確です。親鸞会の「もし信楽に生まれさせることができなければ、仏の命を捨てる」という解釈は明らかに間違っています。

 「㈱チューリップ企画と田中一憲氏の論戦」で田中氏も同じ根拠を出していますが、親鸞会は論点をずらしにずらして、最終的には誤魔化したまま終わっています。親鸞聖人の御言葉よりも高森会長の教義を優先する、典型的なカルトの思考パターンです。


 高森会長は自身の解釈の根拠として、まず本願成就文の「即得往生 住不退転」を挙げます。不体失往生を示すこの経文は「若不生者 不取正覚」と対応しているのだから、「若不生者 不取正覚」も今生で信楽に生まれるという現益を誓われているのだという主張です。

 本願成就文の「即得往生 住不退転」が、本願文の「若不生者 不取正覚」と対応していることはその通りです。しかし、先に私が挙げた根拠にある通り、「若不生者 不取正覚」とは念仏者の浄土往生を誓われた経文だというのが親鸞聖人のご解釈です。

 本願成就文の「即得往生 住不退転」とは、「(本願を信じて念仏称える者が、)もし浄土に生まれなければ仏に成らない」という「若不生者 不取正覚」の誓いが成就しているから、名号を聞いて信心歓喜し浄土に生まれることを願う衆生は、「即ち往生を得、不退転に住せん」ということです。

 つまり、衆生の浄土往生を誓われた本願が成就しているから、その本願を信ずる者は今生で往生一定になると説かれているのです。これが本願文と成就文の関係であり、成就文が親鸞会の解釈の根拠とはなりません。

 次によく親鸞会が持ち出す、「信受本願前念命終 即入正定聚之数 即得往生後念即生 即時入必定 又名必定菩薩也」という『愚禿鈔』の御文ですが、

 これは親鸞聖人が『往生礼讃』の前序にある言葉を取られて、「念仏行者は前念に命が終れば、後念にただちに浄土に往生する」という意味であったのを、「現世において本願を信受すると同時に往生一定となる」という意味に置き換えられているだけです。この御文も高森会長の自説を論証するものではありません。

 『御消息』で親鸞聖人は、

 十八の願に、「信心まことならば、もし生れずは仏に成らじ」と誓ひたまへり。


と書かれています。信楽開発と「若不生者」を同時の事態とは見ておられないのです。別の『御消息』では以下のように仰っています。

 念仏往生と信ずる人は、辺地の往生とてきらはれ候ふらんこと、おほかたこころえがたく候ふ。そのゆゑは、弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。


 念仏して往生すると信じる人が、辺地といわれる方便の浄土に往生するなどと嫌われるようなことは、全く理解できない。なぜなら、弥陀の本願とは、名号を称える者を極楽浄土へ迎えようとお誓いになっているのであり、それを深く信じて念仏することが尊いのであるから、という意味です。

 本願を信じるとは、弥陀の仰せの通りに念仏称えることと同じですから、ここでは「名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたる」のが弥陀の本願だと示されています。

 このような信心よりも念仏を強調しての第十八願釈は善導大師のものが有名ですが、『安心決定鈔』の冒頭では『往生礼讃』の第十八願釈が引かれて、

 この願を『礼讃』に釈したまふに、「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」といへり。この文のこころは、「十方衆生、願行成就して往生せば、われも仏に成らん、衆生往生せずは、われ正覚を取らじ」となり。


と示されています。はじめの第十八願加減の文を訓読みすると、「もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん。下十声に至るまで、もし生まれずは、正覚を取らじ」となります。「他力の念仏を称える衆生は、たった十回しか称えなかった者でも、もし生まれずは……」というこの文脈で、「もし生まれずは」が信楽に生まれることだとすると意味が通じません。

 実際、「この文のこころは、『(中略)衆生往生せずは、われ正覚を取らじ』となり」と解説されており、「若不生者 不取正覚」の文意は明示されています。
 
 この他にも私にはいくらでも根拠がありますが、親鸞会に聖教上の根拠は一つもありません。「若不生者 不取正覚」=「もし信楽に生まれさせることができなければ、仏の命を捨てる」などという解釈は、ただの一箇所も聖典上に存在しないのです。

 「若不生者 不取正覚」=「(本願を信じて念仏称える者が、)もし浄土に生まれなければ、仏に成らない」ということを踏まえれば、下記の法語の意味も自ずと知れるでしょう。

 ただ男女・善悪の凡夫をはたらかさぬ本行にて、本願の不思議をもつて生るべからざるものを生れさせたればこそ、超世の願ともなづけ、横超の直道ともきこえはんべれ。


 『改邪鈔』の御言葉です。男も女も、善人も悪人も、本来の姿のままで、不思議な本願力によって、極楽浄土になど到底生まれることのできないはずの者を往生させるからこそ、超世の願とも名付けられ、横超の直道とも言われるのです。

 覚如上人の仰る通り、阿弥陀仏はどんな悪凡夫でもありのままの姿で救って下さいますが、「必ず往生させる」という誓いを曲解して浄土願生しないような人は助けることができません。

 阿弥陀仏の本願とは、「真実なる本願(至心)を疑いなく信じて(信楽)、我が国に生まれるとおもって(欲生我国)念仏称えなさい(乃至十念)。もし浄土に生れなければ(若不生者)、仏に成らない(不取正覚)」という仰せです。この本願は完成して「南無(我をたのめ)阿弥陀仏(必ず往生させる)」という呼び声になり、いま現在はたらき続けています。

 この勅命をはからいなく聞き入れているのが信心です。「必ず往生させる」という阿弥陀仏の信心がそのまま私の信心としてはたらいて下さるので、これを他力回向の信心と言います。


※2013年12月23日追記

 今月の10日に『なぜ生きる 2』が一万年堂出版より発刊されました。

 その152ページで高森会長は、「若不生者」の現代語訳を「もし私の真実の浄土へ往生できぬことがあれば」と修正しています(「不取正覚」の解釈は相変わらず間違っています)。

 これには正直驚きました。

 アニメ第2部やチューリップ法論、普段の講演会であれだけ強調していた自説を、いとも簡単に取り下げたわけです。

 これまでも教義の改変や追加は度々ありましたが、今回はその最たるものです。

 流石に動揺を隠しきれない会員も少なくないようです。

 いずれにせよ、「高森流三願転入論」を中心軸として、親鸞会の教義は間違いだらけです。

 以下のエントリーでその邪義を破っていきます。


コメントの一覧

No title

先日メールした者です。色々と教えて下さり有り難うございました。若不生者について、親鸞会員は何の疑問もなく高森先生の説を信じてます。しかし、それは全く根拠のないことだとこのブログではじめて知りました。チューリップの法論は以前に読んだことがあるのですが、なぜかその時は間違いに気付かなかったです。今思えば、先入観を持って読んでいて、客観的に冷静な判断ができなかったのだと思います。すごく後悔してます。

みなみさんへ

 先日も申し上げましたが、本当の浄土真宗に遇って御信心を頂いたのであれば、もう執拗に親鸞会を恨んだりする必要はないと思います。これからの人生、お念仏を称えながら阿弥陀如来に感謝し、新しい生活を築いていって下さい。
 世の大半の方は、生涯仏法を聴聞することなく人生を終えてしまいます。たとえ親鸞会に騙されて苦しんだ経験があっても、今のご自分の身の幸を実感されれば、そんな過去はどうでもいいことだと思えるでしょう。

あまりに情けない

あまりに情けない。

親鸞聖人のため息が聞こえてきます。

「若不正者のちかいゆえ
信楽まことにときいたり」

この親鸞聖人のご金言をよくよく賜らねばなりません。

こちらでの、聖人に対する解釈は、一見、最もらしいように受け取れます。

しかし、聖人のご本意を聞き誤る者の、陥りやすい箇所のひとつなのです。

よくよく気をつけねばならないところです。

あなた方は、肝心のところで間違っています。

南無阿弥陀仏


無常迅速さんへ

ご意見を述べられるのは大いに結構ですが、

①私の文章のどこがどのように間違っていると思われるのか

②その根拠となる御聖教の御文は何か

③その御文の意味はどのようなものか

最低でも以上の三点は明記して下さい。

そうでないと貴方の意図がよく伝わりませんし、ただの感情論にしか受け取れません。

有り難うございます

鹿児島の田舎でも親鸞会が入ってきています。ある魚屋さんの奥さんは騙されて旦那さんがせっかく貯めていたお金も全部こっそりつぎ込んだようです。早くあんな団体が無くなることを願います。


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当ブログについて

 当ブログは、高森顕徹氏が会長を務める「宗教法人・浄土真宗親鸞会」の邪義を破っていくものです。目に余る親鸞会の醜状を歎き、ここに真宗の正義を綴りました。

※メイン記事の最終更新は2013年の2月であり、親鸞会の教義や組織に関する情報はそれ以前のものに基づいております。

管理人:黒猫

 関東在住の念仏者です。有り難くも阿弥陀様よりご信心を恵まれ、お念仏申す人生を送っております。

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